| 鍼灸道(鍼灸師として歩く道) |
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院長岩崎の裏プロフィールです |
1、中国と日本の東洋医学系大学を2校卒業ー 日本国家資格取得者・中国中医師取得 ー 高校生のころ進路に迷っていた私は何をしたいかもわからず日々過ごしていました。 たまたま鍼灸師であるプロ野球のスポーツトレーナーさんの話を聞いたことや自分が柔道をしていたので 鍼灸師という存在を少しはしっていたことと、父のすすめや、なんとなく手に職をつけたいという思い・・・ 文系でしたが3年生の夏に理系?である鍼灸の学校に興味がでてきました。 夏から受験まであせって勉強をしたのを今でも覚えています。夏休みは補講の毎日でした。 この補講がなければ受かってなかったかもで高校の生物の先生には感謝しています。 そして運よく?明治鍼灸大学へはいれることになりました。 明鍼大では理系ですから勉強は大変でした。周りの友達の助けもありなんとかなってました。 ただ特に学校での勉強に興味はなく下宿の先輩に鍼灸の話を聞いたり外の勉強会に行くのを楽しんでました。 4年が過ぎるのも早いものでまた次の進路が待っています。 多くは柔整の学校に進学します。私も柔道をしていましたからそのまま進学する予定でしたが 3年次にいった中国のことが忘れられないのです。 すごく中国が好きだったわけでもなく特別中国の技術をすごいと思うこともなく・・・ 進学するよりとりあえずお金をためるために東洋医学が全般的に学べるところで就職することにきめました。 そして働いてからも中国が忘れられなければそのときに行こうと思いました。 就職した県立尼崎病院では私がいずれは留学するという旨を話していたので いろんな先生からよくしてもらえたなと感じています。 医師や薬剤師や鍼灸師がひとつの研究所という組織に存在するということは 今現在ではそういう場にいさせてもらえただけでもありがたいことだなと感じております。 そして2年が過ぎ研究所での研修にもそろそろ終わりをつげようとしていました。 結局は中国に行く夢はあきらめずに・・・いくことを決心し・・ 上海に渡りました。上海中医薬大学の単位は日本ですでに多く取っていましたから1年で卒業できます。 今は37歳ですがこの中国にいた2年は37年に匹敵するほどの感動を覚えました。 人生において何が大事なのか・・・自分が歩く道・・・いったいなぜ私は存在しているのか・・・ そしてどこに行くのか・・・いろんな人との出会いそして別れ・・・ 世界中から勉強に来ていた数人の医師・鍼灸師・薬剤師との交流。 もし中国に行ってなければ一生普通の生活だったと思うと人生しっかり楽しめたなと思う2年でした。 中国では上海中医薬大学の3年専科を日本では4年制の明治鍼灸大学を卒業。 また上海では大学のカリキュラムだけでは満足せず上海中医薬学会からご紹介を受けて 地元の医院にて研修を1年間。ですので計8年間も学生生活を送っていたということであります。 けっして留年して8年いっていたわけではありません(笑) 計8年間みっちり知識・技術をつめこみました。 日本全国で探しても両大学卒業者(中医士・鍼灸学士)は指で数えるほどでしょう。 またそれに加えて県立尼崎病院で働きながら研修を2年させていただきました。 東洋医学を研究している施設にて働けたことは私にとってすごい財産であります。 あわせて計10年と西洋医師と同じ位の学習年数が必要となったのですが この10年はまったく悔いがあるものでなく私にとっては非常に良い体験ができた10年だったと思っています。 |
2、当院は広島と島根に2つあります。 そして10年の勉学を終え中国留学から帰ってきて島根の赤名にて開業しました。 よくどうして人口の少ない3000人の町で開業したのかと聞かれます。 今でいえばコトー診療所みたいでうらやましいといわれることもたまにありますが・・・ 10年間勉学してもしょせんは勉強にすぎません。 臨床はまた別なのです。臨床力をつけるには私のことを誰も知らないとこで開業しなければいけません。 都会で開業したら私の経歴だけで十分患者さんはよってくるでしょう。 臨床力がつく前にもう患者さんが来れば所詮はそれで終わっていきいずれは仮面もはがれるものです。 田舎で開業してはじめの1年はほとんど患者も来ず毎日毎日本とニラメッコ。 1人づつ治していくごとに1人づつ患者が増え3年くらいたったときようやく収入を得ることができるように・・・ そのころ同じ鍼灸師仲間はもう立派に成功していたので多少あせりながらも がんばっていきました。その後ゆっくりと広島の県北から私の噂が広がっていき三次からの患者さんが増えてきました。 わざわざ雪の中島根まで来てもらうことかなりの人数になったところで三次への出張を考えはじめました。 そして開業して5年後に三次にうつり三次出張所をたちあげました。 島根と三次を半分半分にて診療を開始し徐々にこのころから臨床力がついていきました。 大きかったのは坐骨神経痛治療の習得です。またそれまで眠っていた?中国での臨床力・技が冴えわたるように・・・ もうその次の広島市まで移るのも時間の問題となりました。1年半ほど三次にておこなったあとで 広島に移りました。広島でもまた1からですが、臨床力が乏しかったはじめに比べて 波にのるのは早かったです。3ヶ月もたたないうちに患者さんがつきはじめ紹介も増えてきました。 そのころから島根へ帰る日数も徐々に減っていき・・・ 私は島根で育ててもらったのでなんとか島根だけは治療所を継続していきたいと強く思い 弟子を育てることに。縁があったのか小池さんにめぐり合い1年かけて育てあげ 今現在(21年8月)島根の治療所を完全に任せられるようになりました。 |
3 鍼灸 中国鍼 漢方蒸 てい鍼 治療方法の多さが特徴 東洋医学総合治療をめざしています そして広島に移りマンションの1室で開業して約2年ほどで 下の広い事務所用店舗へうつることができました。 そして漢方蒸との出会いです。漢方蒸と出会い鍼灸以外のものに興味がでるようになりました。 中国では鍼灸・漢方・整体・気功が東洋医学として確立していまして 私も鍼灸は大学以外でもさまざまな施設にて研修し 漢方は日本でも有名な著名の漢方医の元で研修を受けることができ 整体は推拿ともいいますが施設だけではなく個人的にも学ぶことができ 気功は王老師につき毎朝しっかりと修練をつみました。 そのときに学んだものが帰国して8年という歳月がたちようやく発揮されるわけです。 漢方は漢方蒸として・・整体は足心ができるスタッフを育て・・気功は鍼とあわせることで・・ 自分の理想とする治療法がほぼ完成されたことになります。 それからはまずはしっかりと東洋医学診断をすることが大事だと感じ 問診や診断に時間をかけそしてその方にあった治療法を伝えながら 選択できるという流れができるようになりました。 それによって坐骨神経痛だけでなく不妊症に対してもかなり自信がついてきております。 また得意な疾患が増えてきたらほかの治療技術もだんだんと成長しているように感じます。 おそらくどういう病気の治療も結局は同じなのかな? 病気を治すのでなく病人を治す。 そういうトータルセラピー的な考え方が大事だと思っています。 東洋医学専門院としてはまだまだ発展途上です。 まだ自分が夢見た形とは程遠く今後も精進していい治療院の形ができあがるように がんばっていきたいとおもっております。 平成21年4月からは鍼灸師スタッフ・鍼灸学生スタッフと3名となります。 私を含めた4人でがんばって診療していきたく思っております。 また平成21年8月に念願の美容部門を設立し治療と美容の2本柱にて 診療をしていくという感じになりました。美容部門がはじまってから治療技術が落ちたと 言われないよう日々努力を続けていきたいと思っております。 |
最後に・・・
それによって西洋医学のみでは効果がでない症状や薬があまりあわない症状や
慢性的病で苦しんでいる方 またストレス+自律神経といった治療法がほとんど存在しない病に対しても
東洋医学であれば治療方法があります。
それによって松鶴堂方式を開発しました。
詳しい説明は松鶴堂方式とはにて詳しく説明しているのでそちらを参考にください。
患者さんが見るとしてはややこしくかなり専門的なのでとばしてもらっても結構です。
同業者さんはよんでみてください。
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